あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

投稿サイト

 短歌投稿サイト「うたよみん」は、詩歌の新しい可能性を秘めたコミュニティだ。

 まず、縦書き。これでもうほぼ 100 パーセント、日本的詩歌の電脳空間における課題を克服できたのではないか、とすら思う。特に短歌は上から下へと流れる叙情が生命線なので、縦書きは必須である。

 次に、手軽さ。スマホを掌に、瞬時に投稿ができる。欲を言えば下書き機能を備え、推敲する手間も欲しいが、編集は随時可能である。

 そして、つながる、ということ。古来より座を組んで作歌してきた伝統が、たとえ場が電脳空間に移ったとしても、継承されている。

 公開は 2013 年というから、もう 5 年もの実績を残している。結社に連なるわたしが無知だっただけなのだが、もっと早くに出会いたかった。歌壇の行き詰まりを解決できるのではないかと予感がしたからだ。

 『俳句の世界』から引く。指摘は俳壇についてだが、歌壇にもそのまま当てはまる。今から 40 年近く前の言葉にもかかわらず、現代でも十分通用する洞察である。

 昔の俳人たちがそれぞれの時代の人たちを感動させたのは、その作品が、それぞれの時代において何かの新しさを創造したからにほかならない。芭蕉の意味において「流行」したからなのである。ところが、現在ほど俳壇が量的に拡大し、しかも情報の伝達が敏速になると、新しさの創造は容易でなくなる。たまたま新しみを案じても、発表するやいなや追従者・改良者が類作を氾濫させ、新しみは月単位もしくは週単位で消去される。(中略)いまの俳壇の隆盛は、俳句情報の豊富さによるものであり、俳句情報の豊富さは、同時に俳壇を「流行」させない最大の原因なのである。( 1981年改訂版 p366-367 )

 言葉の世界は、玉石混淆。結社であれネットであれ、原石は磨くことで輝きを増し、宝石になる。地球上に溢れ飛び交う言葉が、どのような軌跡を残して変化していくのか。そして、詩歌の行方は。未来を生きることはできないが、興味は尽きない。

俳句の世界

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