あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

短歌とは(  )のようなものである

 巷で話題に上っていたので、考えてみた。まず最初に浮かんだ言葉は「絵画」。いつも絵画を描くように言葉を並べている。三十一文字にイメージの浮かびあがる瞬間が心地よく、ただただ絵筆を運ぶように言葉に思考を傾ける。短歌とは、言葉により心象風景を描くものと位置付けている。

 しばらく時間をおいて出てきた言葉は「ビタミン剤」。言葉に触れて思考と戯れていると、いつの間にか元気になっているので。苦境に直面したときも、支えてもらっている。自分には歌があるから…と。小さなことに拘泥せず大きな視野を持って俯瞰できるようになった。いつもこの心理状態が保てるよう、ゆっくりと深呼吸をする。

 次に脳裡を過った言葉が「パズル」。三十一の表音というパズルの一片から無限のイメージを創造する不思議、とでも言おうか。誰一人として、まったく同じイメージを創造することはあり得ない。わたしであればわたしのイメージ、あなたであればあなたのイメージ。人間一人一人の心が異なるように。そのイメージづくりのために一音一音、パズルの一片をはめ込むように言葉を組み込み歌を創造する。楽しい時間が過ぎてゆく。

 結論としてあてはめたい一語は、「迷宮」になる。高次を求めて、常に彷徨うことになる宿命のようなもの。正解は、ない。彷徨う時間はときに、至福でもあったりする。

 換喩ではなく、一言で「短歌とは(  )である」とする場合は、「道」が当てはまるだろう。白き道。まっすぐに歩み進む一本の道。自分の生き方を一元的に実践するために歌の道がある。

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