あけほのむらさき

花も鳥もこころの旅にいく昔いくうつりして春はあけほの

古歌

 「短歌」という言葉の使用を何となく忌避している。個人的に「歌」と呼称することが多い。千年の歴史を紐解けば、もとは、長歌、短歌、旋頭歌の一分類に過ぎず、明治以降、旧時代の和歌と区別する目的で新時代の短歌ともてはやされるようになった。古いものを葬り去りたい機運により、三十一文字に新しいイメージが打ち出された。そんな印象を抱いてしまうのだ。

 その文明開化から百五十余年。この間に詠まれた三十一文字が、果たして千歳の未来にどれほど永らえているだろう。と想像すると、自分の小さな脳裡では興味の対象が自ずと千歳を永らえた過去に赴いている。

 口語短歌の登場で気軽に喜怒哀楽を詠めるようになったが、これは単なる一スタイルに過ぎないと解釈する。日本の精神文化が古歌に起因する歴史は揺ぎなく、このまことを疎かにするといずれ自らの足元を掬われる危機が待ち受けている。詰まるところ、言葉と心の根幹は古歌に横たわるのであり、いつの世も誰かが使命感を持ってこのまことを語り継ぐことが必要だと考える。

 まずは永らえたまことから学び、歌を詠み続ける。そうすることで自らの姿も客体化できるだろう。古典はいつもささやかに光輝を放つ。古の時空を咀嚼してこそ、奥深い言葉を発することができると信じている。

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